リーダーとは。隊長とは。審神者とは。

【不完全だからこそ成り立つんだよ。】

リーダーとかそういう立場はやりたくないとずっと考えてた。

避けていたところがあった。

ある日、自分の目的を果たすためにやると決めたことがあった。

 

初めてリーダーになった時のこと。

活撃の兼さんとか、

刀ミュ(厚樫山)の加州とか見てると

自分の会社員時代を思い出すんだよね。

 

組織にはいろんな価値観を

持った人達がたくさんいる。

 

私の場合はベテラン勢を

相手にすることが多かった。

 

三日月さんとかあの辺を

相手にするような。

 

私なんかよりも経験も知識もあって。

あとは、なかなか濃いキャラだったりもして。

 

初めて、まがりなりにも「リーダー」と

名の付く立場になった時。

 

すんごい怖かった。

 

当時の私はその「怖い」感情を

なくしたかった。

 

必死になって本を読み漁って

どうにか恐怖をゼロに

しようと頑張ってた。

 

 

リーダーは完璧でなくてはいけない、という思い込み。

私がやってきた仕事と言えば

どちらかというとある一つのことに

偏っていて。

 

その仕事から少し外れると

ベテラン勢が居てくれないと

仕事がままならない感じだった。

 

教えてもらいながらでないと

仕事ができなかった。

 

私はそれを「悪」だと考えてた。

 

リーダーやってるクセに

そんなことも知らないなんて

なんてダメなリーダーなんだ、と。

 

そう考えてた。

 

○○のことしか知らないのに

リーダーなんかやってどうするんだよ。

 

実際に言われたわけでもないのに

そんな風に言われているような気がして

すごく焦っていた。

 

ダメな自分をダメじゃなくするために

仕事が終わっても仕事のことを考えた。

 

自分の足りないものを埋めるために

必死になって本を買ったりして

知識をつけようと頑張った。

 

日々進歩していく技術。

それにも喰らいついていきながら。

 

自分にない知識を取り込みつつ。

 

組織というものを運営して。

 

改善できそうな作業は改善もやっていった。

 

はっきり言って

自分一人でどうにかできる

量じゃなかった。

 

でも。

 

これぐらいのこと、リーダーであれば

全部やらなくてはいけないことだ。

 

そう考えて、できる限りひとりでやろうとした。

 

抱えきれなくて、最後は体を壊した。

 

 

自分がやっていたことは「奪う」行為だった。

私にできないことは、誰かにとっては

とても得意で、大好きで、やりたい仕事かもしれない。

 

そういう見方を知ったのは、かなり後のこと。

 

本来、他の人に与えられるはずの仕事を

私自身が奪っているなんて

考えもしなかった。

 

価値観が変わった瞬間だった。

 

 

体調が回復して異動した後。

 

別な仕事のリーダーになった時には

自分でなくてもできる仕事は

他の人に任せるようにした。

 

リーダーが全部できないといけない

という考えもあったけど

 

自分がやったほうが早い。

 

そんな考えも持っていたせいで。

 

人を信じることができないから

仕事を任せることができてなかった。

 

そんなことにも気付いた。

 

 

完璧とは何を指すのか。

 

完璧であること。

 

これについても

私はすごく執着していた。

 

リーダーなら

隙があってはいけない。

間違ってはいけない。

 

そういう思い込みもあった。

 

これは他人から嫌われたくないこと

の裏返しの行動だった。

 

何か一つでも間違えば

信頼がすべてなくなって

リーダーとしてやっていけなくなる。

嫌われてしまったら終わりだ。

 

今考えたら、笑っちゃうようなことだけど。

本気でそう信じてた。

 

完璧にやろうとすればするほど

苦しくなって……。

 

そもそも、完璧ってなんだ?

どこまでも、終わりのないものではないのか?

 

完璧が何を指すのか

定義しようと思ってもできなかった。

 

だから、完璧を目指すことをやめた。

 

 

みんながいるから、やれるんです。

刀剣乱舞やってると

自分が経験してきたことと

審神者の立場を重ね合わせて

見ちゃうことが多いんだけど。

 

自分にできないからこそやってもらう。

相手を信頼して、信じて任せる。

 

一人ひとり、完璧じゃないから

いろんな人と協力して

一つにしていく。

 

この大切さを学んだよね。

 

 

審神者自体にそれほどの

力なんてなくて。

 

刀剣男士のみんながいて

歴史を守ることも

できるんだよなぁ……。

 

うまくやろうとしなくていい。

何でもかんでも

最初から全部うまくいくことなんて

そうそうないのに。

 

目指せば目指すだけ苦しくなるから

それもやめた。

 

物事をすすめていく上で

その判断で本当に良かったのか

どうか迷うことだってあるけど。

 

いつだって私たちは

その時にできる

最良の選択をしている。

 

過ぎてしまったことは

どうにもできない。

 

後悔しない選択を

していきたいよね。

 

 

その他:不器用な人の話。

 

職場に入って初日とかなのに

 

俺らベテランと同じぐらい

仕事できるようになれよ。

 

って感じで接してくる人が

いたりするけど。

 

伝え方が下手くそすぎる(;´∀`)

 

お前も早くここまで来いよ

っていう

激励みたいなものなんだよね?

たぶん。

 

だいたいの人は

なんだアイツ!

って思ってしまうだろうから

気を付けたいね……。

 

 

終わりに。

こんな審神者ですが

よろしくお願いします!

 

って感じかなー(*´ω`*)

 

「こんな私」だから

みんな、ついて来てくれてる。

 

審神者が一人で全部できたら

刀剣男士なんて

いらなくなっちゃうもんね。

 

「こんな私」を大事にしていきます。


刀剣乱舞 不動君が修行から帰還。極になった。

【過去の出来事をなかったことにする必要はない。】

極見てると、総じて元の主との折り合いをつけてくる刀が多い。

過去を思い出す刀もいたり。

どういう修行をしてくるかはそれぞれだ。

 

私は毎日1通の手紙を読みながら、帰りを待つだけ。

 

過去について私が思うこと

まぁ、いろいろあるよね。

有名な人の元にあった刀も多いし。

 

私のところに来たからと言って

全部忘れなさいとは言わない。

そんなことは無理だしね。

 

過去を持ち出して来て

自己否定したり。

過去にこうだったから

今度も○○になるって決めつけたり。

 

でもね、そういうことって

誰のためにもならないよ。

 

なにより、自分を傷つける。

場合によっては

人を傷つけることだってある。

 

 

結局、自作自演。

何度も言ってきてることなんだけど

私も散々やってきたからね。

 

自己否定したり、

未来は(悪い方向で)こうなるって決めてさ。

 

今は分かってきたから言えることだけど

自作自演

なんだよね。

 

自分で自分を傷つける行動をするメリット。

ずっと被害者でいれること。

 

 

負のループの始まり。

私はこんな酷い目にあったんだぞ。

 

って言ってれば

それを慰めてくれる人もいるだろうし。

 

痛々しさや悲しみとか強い想いに共鳴して

「私も」って集まってくる人もいる。

 

できた居場所が心地よくて、抜けれなくなる……。

 

本当は悲しくてつらいクセに

その感情を隠してると

怒りに変わってくる。

 

自分自身に対しても

他人に対しても

攻撃するようになる。

 

自ら望まない世界を作り込んでいく。

自分は性格が歪んでる人間だから

こうなるのは仕方ないんだ。

 

とか考え始めて

呪文みたいに自分に言い聞かせてると

それが本当になってくる。

 

自分では気が付いてない場合が多いけど。

 

自分から性格が歪んだ人間だ

と思われるような行動を

取ってしまうんだよね。

 

だから、周りから人が離れていく。

 

自分でそういう状況を作っておきながら

 

あぁ……。

やっぱり、私みたいな人間なんて

要らないよね。

 

なんて考えて、負のループにハマっていく……。

 

本当にひどくなると、死を考え始めたりする。

 

自分で死のうとしたりとかね。

だけどまぁ、今もこうして生きてる。

 

 

状況を変えるためには。

やり方は人それぞれあるけど

一番効果があったなーって思うのは

自分を満たすこと。

やりたいことをやりまくる!

 

過去がどうだったかとか関係ないんだよ。

今からやればいいんだから。

 

過去に出来なかったことを今やる。

未完了のままの想いを完了させる。

 

その時の自分はどうしたかったのか。

どういう状態が良かったのか。

 

実際に行動に移せないようなことでも

自分で想像して感情を味わうことでも

想いを完了させることができる。

 

想像の中でもう一度やり直してみるとかね。

 

 

自分が満たされると起きる変化。

私の実体験だけど

楽しくなってくる。

 

嫌なことだらけだったはずの現実が

そうじゃなかったってことに気付く。

 

自分が勝手に思い込んでただけなのかって。

そっからはものすごい勢いで変わってった。

 

そのおかげで、自分の捉え方、考え方次第で

世界はいくらでも変わるんだって学んだ。

 

その他:マイルールを破る。

自分の本心を見逃さないで

自分が気分よくいれる選択を

繰り返していくだけでも

充分、楽しくなっていくもの。

 

我慢ばかりしていたのなら

我慢するのをやめてみたり。

 

言いたいことを言ってみたり。

 

自分を抑圧して生きてきた人は

自分で作ったマイルールが大量に存在してるよね。

 

まずは、そのマイルールを破ることから始まるかも。

 

これもダメ。あれもダメ。

ってしてることが多すぎるんだよね。

 

頑なに守ってきたことを破るってのは

だいぶ勇気がいる。

 

それは絶対にやってはいけないことで

犯罪レベルのことだ。

 

と思ってることもあるからね……。

 

例えばだけど、よく考えれば

人に言いたいこと言って、それが罪になるのか?

って言ったら、ならないよね。

 

ただ、言いたいことを言うにしても

「私はこう思う。」って形で伝えないと

ただの悪口とかになってしまうから

気を付けないとね。

 

自分の感情を一緒に伝えるとなおよいかな。

 

私は○○をされて悲しかったです。

みたいな形で。

 

終わりに。

あー、なんか長くなってきたw

 

とにかく、不動君が成長して帰ってきてくれてよかった(*´ω`*)

 

 

新しいことをやる時、怖いと感じるのはみんな一緒だ。

私もそうだし。

 

人間の脳の仕組み上、怖いって感情を完全に

なくすことはできないみたいだから

恐怖と上手く付き合っていこう。


死とは。刀は人生を考えさせてくれる。

【永遠に続くものなんてないから、大事にしたくなる。】

身内のことで、少し気になることが起きたけど……。

大丈夫だと思う。

 

去年、父方のおじいちゃんの死を通して

 

人が死ぬ。

というのはこういうことか。

 

と実感したんだよね。

 

お葬式なんて15年ぐらい?なかったし

子供だった私には「死」が

なんなのかよくわかってなかった。

 

感情を抑圧しまくってた私は

母方のおじいちゃんが亡くなった時も

何が悲しいのかわからかなった。

 

泣くこともなく。

ただただ、火葬とかのなりゆきを見てた。

 

なんで泣いてないんだ!

って母親に言われたけど

どうしたら涙が出るのか

わからなかった。

 

素直に感情が出せていれば

大泣きしたのかもしれない。

 

数十年経って

その時の未完了の想いを

おじいちゃんの死をもって

完了させることができた。

 

こんなにも悲しいことなんだと。

 

悲しいという感情を

深く感じることができた。

 

 

私達も例外なく毎日、死に向かっているんだよな。

毎日、命を削りながら生きている。

 

そう考えると

無駄にできる時間なんて

何ひとつないって思うよね。

 

私たちは物じゃないから寿命がある。

必ず終わりが来る。

 

よくある問いで

明日死ぬとしたら何をする?

1年後に死ぬとしたら何をする?

っていうのがあるけど。

 

いつ何が起きるかわからない。

本気で向き合ってみるのもいいかもしれない。

 

――――

活撃のほうも、どうなるのか心配な展開が続いてるけど。

審神者には「どんなことが起きても受け止める器」も

必要なのかなって。

 

刀剣が破壊されるという事態になって

つらくない人はいないと思う。

 

だけど私は

その感情にずっと支配されているのは

よくないと考えてる。

 

悲しいことも乗り越えて

今の自分に何ができるか?

を考えて前に進むことをやめないこと。

 

これって大事じゃないかなって。

 

削っている命を何に使うのか。

 

悲しんでばかりいて

壊れていった刀が報われるのか?

とか考えちゃうよね。

 

人の姿になって、感情というものを持って。

自分の意思で選択すること、決めることもできる。

 

彼らが何を想い、どう動くか。

見守りながら、待つしかない。

 

審神者としては出来る限り

みんなの意思は尊重したいと思う。

それでも、「ダメなものはダメ」な時もある。

 

起きた事実そのものを変えようとするのはダメだ。

でも、起きた事実に対する解釈はいくら変えたっていいと思ってる。

というのが私の考え。

 

というか、私自身そうしてきたから。

悲しい出来事、つらい出来事。

たくさんあったけど

どういう解釈にするのかは自分次第。

自分で決めれるから。

 

遡行軍とか歴史を変えようとする奴らも

自分の都合が良いように解釈を変えたらいいのにな。

と考えることがある。

 

そもそも、変える必要などなかったと。

そんな風に考えてくれることはないのか?

なんて考えてみたり。

 

もし、仮に戦う必要がなくなったら。

その時には何が起こるんだろう。

 

審神者も刀剣男士も不用になってしまったら。

あるべき姿に戻る……?

いずれにせよ、いつか別れの時は来るんだよね……?

 

逢えてよかった、と。

笑いながら別れることができたらいいよね……。

 

 

なーんて。

 

家にある刀は大事にする。ずっと。

2ヵ月ぐらい前に「戦わない」と決めた時から

刀を抜かないことも決めてある。

 

使えるようにすることもできるけど。

あえてそうしないと決めた。

 

その話も刀にしたことがある。

それでも嫌でなければ

私について来て欲しい、と。

 

それで、なんだかんだ今も一緒にいる。

 

正国も兼さんも

私がたぶん2回目?の人生の谷に

落ちかかりそうな時から

一緒に居た刀だからね……。

 

これからも居てくれないと私が困る!

刀のない生活なんて考えられない!

 

なんというか。

私が刀を抜く時は、本当に危ない時

なんじゃないかって思う。

 

使うってことは何かと戦う時だ。

使われることがないまま終わって欲しい。

 

なーんて、そんなことまで考えて

みちゃったりなんかして(*’▽’)

こういうこと考えるの好き、なんだよね。

 

こんな世界観が私の中にはあったりする。

 

どこまで表現しきれるかわからないけど

やれることはやってみたいと思うんだ。